Vol. 24:【コラム】ご相談への回答(注:すべてフィクション)
Vol. 23:【コラム】感覚器と情報
Vol. 22:【コラム】監査ドラマを鑑賞する際の注意事項
Vol. 21:【コラム】】おばあちゃんにもわかる債務超過 ③
Vol. 20:【コラム】】おばあちゃんにもわかる債務超過 ②
Vol. 19:【コラム】】おばあちゃんにもわかる債務超過 ①
Vol. 18:【コラム】】ZOOMの向こう側の違和感 (3) -スリランカ会計の窓 特別編-
Vol. 17:【コラム】】ZOOMの向こう側の違和感 (2) -スリランカ会計の窓 特別編-
Vol. 16:【コラム】】ZOOMの向こう側の違和感 (1) -スリランカ会計の窓 特別編-
Vol. 15:【コラム】先達はとうに知っていた -ガンディ・サイババのことば-
Vol. 14:【コラム】脅威は止めよう -コロナ禍のスリランカより-
Vol. 13:【コラム】】ちょっとした数字の「違和感」を大切に -スリランカ会計の窓 特別編-
Vol. 12:【WAOJE コロンボ 起業家たちによるオンライン トークイベント開催 (2022年6月28日)】② -多様性の中を生き抜く -
Vol. 11:【WAOJE コロンボ 起業家たちによるオンライン トークイベント開催 (2022年6月28日)】① -多様性の中を生き抜く -
Vol. 10:【レポート】インド・タミルナドゥ州アラビカコーヒーの森視察(2020年2月)-スリランカコーヒー特別編-
Vol. 9:【小説】Café NATURAL COFFEE 物語(その2)-スリランカコーヒー紀行-
Vol. 8:【小説】Café NATURAL COFFEE 物語(その1)-スリランカコーヒー紀行-
Vol. 7:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年7月8日)】
Vol. 6:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年7月1日)】
Vol. 5:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年3月29日)】
Vol. 4:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年2月26日)】
Vol. 3:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年1月12日)】
Vol. 2:【青年会議所に登壇 (2022年6月8日)】-ヒーロ―になりたかった男とスリランカ起業家 -
Vol.1:【小説】楽園のマグマ(その1) - スリランカODAプロジェクト時代の追憶-
Vol. 24:【コラム】ご相談への回答(注:すべてフィクション)
【楽園のコラム Vol.24】
ご相談への回答(注:すべてフィクション)
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 28th October 2022
ご相談内容(注:すべてフィクション)
「わたしは、極東のある国に本部をもつ瞑想組織が南アジアのある国に設立した支部団体のメンバーになっていたことがあります。瞑想時の体勢とか呼吸法とか、そういう座禅のような縛りは一切なく、自分の脳内と心の全記憶をある1点に向かって昇華させ、その行為を反復した回数のみを主催者へ自己申告することによって、メンバーたちは次の難易度の高いステージへの昇格が許されるという独特のシステムをもっています。その集会中は写真もメモをとることも許されず、携帯電話も持ち込み厳禁です。門外不出の訓練法なのだと感じます。
ところがある日、わたしが集会中に瞑想している姿を、団体がわたしに無断でインスタグラムに投稿していたことがわかったのですが、これは個人情報保護の観点で問題なのではないでしょうか。わたしはメンバーになる前に、数種類の誓約書に署名しましたが、団体によるソーシャルメディアでの公表を無条件に承諾する内容がそこに記載されていたかどうかは確認していません。」
ご相談への回答(注:すべてフィクション)
「あなたの落ち度です。」
(法律に守られるためには、まず法律に守られる資格があることが前提です。。)
以上
Vol. 23:【コラム】感覚器と情報
【楽園のコラム Vol.23】
感覚器と情報
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 28th October 2022
A子「みんな、あんたのことおかしいって言っているよ。」
B子「(ムッとして)みんなって一体誰よ?」
A子「(すこしたじろいで)みんなってみんなよ!」
こういうのは子供の言い争いだけ、とは言い切れません。大人のわれわれも、油断していると職場で無意識に同レベルの会話をしていそうです。上の場合、じつはA子の子飼いの2、3人だけがB子をよく思っていないだけだった、なんてこともよくあります。無意識的に、その母数も、意見の占める割合も、はたまた主観性も客観性もあいまいにして、情報を匿名化してしまうのは、ある意味、目に見えない巨大な怪物を育ててしまうようなものです。
インド2019年個人情報保護法案は、匿名化された情報は対象外なのですが、そんな無毒化されたかに思える情報も、依然として人間の尊厳を傷つける可能性は大きく残されているのです。(芸能人たちが、過去の恋人たちの性癖を堂々とスタジオで語る等は、匿名であってもその想像力のなさと視野のせまさが理解できません。)
ところで、広義の意味の「視野がせまい/ 視野がひろい」の判断基準は、その人のもつ情報量の多寡だけでなく、ヒトの5感をつかさどる感覚器(目・鼻・舌・耳・肌)をめいっぱい使えているか否かによるところが大きいのではないかと感じています。
文字通りの”視野”だけをとっても、ヒトの片目の水平方向では耳側に角度約90~100度、鼻側に約60度、上下方向では上側に約60度、下側に約70度まであると言われています。つまりゴルゴ13でなくとも、前を向いて首を動かさないまま、斜め後ろを可視域にすることができるのです。この感覚器、フルに使っていますか?
現在、筆者はハトのひなどり2羽と、ドアを挟んで生活しています。スリランカはコロンボのマンションの17階なのですが、1年以上も家を空けて管理を怠っていた裏のベランダへ向かうドアを、先週夜半、久々に開けた瞬間、突然何者か大暴れで中へ入ってきて、筆者の頭部はその脚で襲撃されました。背中にフンを浴びせられたことに気づいたのはその数時間後でしたが、その時はとにかくその何者かを外へ追いやりました。
正体はハトでした。たったの5秒間弱の出来事です。とりの脚って美味しいのみならず、ひたすら痛いものでした。翌朝あらためて裏ベランダを調査して保護したのは、ハトのひなどり2羽でした。「ああ、昨晩のあれは親鳥で、ひなを守るための命がけの攻撃だったのだな」と納得し、2羽が無事に17階からインド洋の大空へはばたく日まで、ベランダ大掃除はお預けということに相成りました。執筆中の今も、親鳥が戻ってこなくておなかが空いているのでしょう。2羽ともに不安げに精一杯鳴き騒いでいます。
そのひなどり2羽ですが、すでに野球ボールほどの大きさには成長しているものの、保護した当時は、怯えて硬直状態だったせいもあったかもしれませんが、その小さな黒い眼が、感覚器としてまだ育っていないという印象でして、筆者の方を全く見ないし、その存在の感知すらしていないようなのです。経験上、カラスは、近距離で目と目が合ったりすると、こちらがたじろいだ瞬間、悪さを仕掛けてきます。
言葉もわからないインドの赤ちゃんは、外人である筆者のおへそを見たりせず、じーっと目をみてきます。猫も犬も、喜怒哀楽を表わす際は必ずヒトの目を見て訴えるのです。その生の根源にかかわる目すらもうまく使えていないひなどり、、、そしてわれわれはどうでしょう。気持ちのいい朝に歩道をジョギングしていると気づきます。スマホに夢中で歩いている大人たちの、なんと視界の狭く危険予知アンテナが失われていることか。前から走ってくる自分に、ぶつかりそうになるまで気づきもしないのです。
5感をつかさどる感覚器から得る情報、言い換えればあなたとわたしが体全体で納得する情報、これらをバランスよくはぐくみ、しかもそれを互いに敬意を払い守り合っていくというのが、匿名・非匿名に関わらず、情報保護の第一歩であるように思います。 以上
Vol. 22:【コラム】監査ドラマを鑑賞する際の注意事項
【楽園のコラム Vol.22】
監査ドラマを鑑賞する際の注意事項
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 28th October 2022
「。。よって今回、われわれ監査法人は、あなたがたの財務諸表を承認することは、できません!」
監査側の20代の主査はその後、クライアント側の取締役全員をにらみつけ、真ん中の社長が、へなへなとじゅうたんに崩れ落ちます。代表社員とよばれる監査側の親分は、部下であるはずのその主査のかたわらで、みじろぎもせず、震えるくちびるを噛みしめています。。
10年以上も前に日本で放送された、会計監査を題材にした連続ドラマの中では、何度も出てくるシーンです。美男美女の公認会計士ばかりがそろっている不思議さ以上に、とても分かりやすい違和感を次から次へとお茶の間へ提供してくれた、一瞬たりとも目の離せないドラマでした。
ドラマの詳しい内容に触れることは本意ではありません。ここでは、視聴者側に立った指摘事項たっぷりのその概要のいくつかに触れるにとどめますが、今回はあくまで日本においてあてはまると思われる事項です。
- 監査初日に、黒塗りの車数台でクライアントの本社正面玄関に乗りつけたりはしない。
会計監査は、まず、経験年数の比較的少ない会計士たちによって、経理部保管の総勘定元帳のチェック、現金の実査、固定資産の実地棚卸など、こまかな照合作業が粛々と行われていくため、東京地検特捜部や、国税局査察部(マルサ)のように威圧的に登場することはありません。
2. 冒頭のクライアントへの最終講評直前になって、上司(監査側の代表社員)が、主人公の若い会計士に向かって、「おまえは、どうしても承認しないつもりか」と迫り、胸ぐらはつかまない。
そもそも、上記1の一連の作業の後は、マネージャークラス以上の会計士たちと、クライアント側の経営陣による、重要な期末会計処理の打ち合わせ、折衝が行われ、その後監査法人内で、監査報告書の原案から最終稿までが作成されます。最終評価である「監査意見」は、4段階評価 (インドも同じ ー 会計監査手続きや監査意見については、こちらのコラム)にわかれています。もっとも事態が深刻である、「意見不表明」というものがありますが、監査人が監査報告書に署名しないということではなく、「監査が成立しないほどの不明瞭な事項が見受けられるため、監査意見を表明しない」旨を記載した監査報告書をクライアントに提出するということなのです。クライアントの現場で生々しい監査報告書をプリントアウトして、署名するか否かのクライマックスを、しかも若い会計士たちが迎えるということはありません。
3. クライアントの子会社でもなんでもない別会社の倉庫に潜り込んだり、極秘に帳簿を入手したりして、クライアントの不正と癒着の秘密をあばいてしまった挙句、ひとりで義憤と懺悔のはざまで悩んだりはしない。
監査人には監査対象であるクライアントの情報についての守秘義務があるように、クライアントではない別会社の実態調査を独断で行うことなどは、その別会社にかかる守秘義務を侵害することになります。熱血主人公に対して上司が、「お前たち、法を犯してまでクライアントの秘密を暴く厳格監査など、本末転倒だ」 と糾弾する姿勢はとても正しいです。
- 厳格監査がモットーの若い会計士が、トップである理事長に 「あなた方は現場を忘れてしまっているんだ」とさけび、そして理事長は、グラスの中の氷をころがしながら、「そう、バランスシートってやつだ、表裏一体。。」 と遠い目をしない。
「このドラマはフィクションである」 との但し書きが、いつも開始部分に出てきます。現実離れしすぎていますが、公認会計士たちも人間です。ときにはジレンマにも陥ることもあります。。。 以上
Vol. 21:【コラム】】おばあちゃんにもわかる債務超過 ③
【楽園のコラム Vol.21】
おばあちゃんにもわかる債務超過 ③
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 28th October 2022
孫 「おじいちゃんがむかし勤めていたA社が今、債務超過なんだってさ。」
おばあちゃん 「ええ、つぶれちゃうのかい?」
孫 「うーん、負債の額が資産の額を超過しちゃって、資産を全部売っても負債を返しきれない状態だからね、累積赤字が株主資本すらも上回っているってことでもあるから、かなりまずいと思うよ。」
おばあちゃん 「。。。あらまあ、これからがたいへんだねえ。」
以上は、市井のありふれた日常会話です。おばあちゃんは、何がたいへんだかわからないままに、さらにはうんちくを披露した孫も、具体的に何がまずいのかわからないままに、切迫感が伝わったことに満足して会話は終わります。
しかし、以前より申し上げているように、物事のそもそものルールを知らない純粋なハートをもった方々は、時にあらぬ方角からの質問を投げかけてくることがあります。
おばあちゃん 「そんな状態なら、とにかく今ある資産を売り払わなければならないんだろうねえ?」
ドキッとした孫が 「話は長くなるけど複式簿記っていうのがあってね。」 などと、そういう時によく新聞等で引用される無機質なバランスシート(貸借対照表)を広げ始めたら、もうコミュニケーションはアウトです。それをぐっとこらえて、こう言うべきではないでしょうか。
孫 「いや、おばあちゃん。大きな借金があっても、当分の間返す必要のないものがけっこうあるのなら、手元にお金があるその「当分の間」は、一応商売を続けることはできるよ。」
そのあとで孫は、読者を哲学の世界に引き込んでいく経済学者風に、ちょっと変わった掟破りのバランスシートを提示してみます。
孫 「これを見てみて。企業を形作っているものとして右側(借方)と左側(貸方)があるのだけど、実は双方同じものをあらわしているんだ。左側では自分の車を乗り回して見せびらかしている一方、右側ではそれを買うときにした借金の借用書をポケットに隠している、って感じかな。いざというときは、左側のものは売り払うことができると思っていいよ。ところが債務超過の企業というのは、そういう借用書が増えすぎてしまって 『負の光を放つ月』 が右側に昇りはじめ、それによって『禍々しい影』 が左側に浮かび上がってしまう状態なんだ。」
おばあちゃん 「へえ、影が出るのは左側なんだねえ。じゃあ、これも売れるんじゃないのかい?」→(孫:ドキッ)
孫 「こ、これはね。月光を浴び続けて浮かび上がった、文字通り影だから、売れないし、食べられもしないし、触ることすらできない。そのくせ会社が実体としてある限り、それにしつこくついてまわるものなんだ。(注:これを『マイナスの利益剰余金が株主資本を上回った様』 と言うことができるが、ここではもちろん割愛)。ただし、商売が繁盛して貯金を増やしたり借金を減らしたりすることで、月は沈み、次第に影も薄らいでやがて消えていくものなんだ。」
おばあちゃん 「よかったねえ。」
孫 「負の月光さえ消えれば、物事は一気に見えやすくなる。『真実を映し出す美しい鏡』 というやつで、通常状態の企業の左側を映してごらん。」
おばあちゃん 「やあ、なんか映ってきたよ。今ある左側の現金やビルなどの30%は、もともとはこの企業の株を買ってくれた人たちのお金だったのかい。車なんかには、やっぱり借用書が映っているよ。ローンだったんだね。」
孫 「そして、真ん中に『自由のコイン』 が映っているでしょう。これこそが、何にも誰にも縛られることなく堂々と使えることができる右側の自由の度合いをあらわしているんだ。個人も企業もそうだけど、自由度がふえるっていうことこそが一番の資産だよね。」
おばあちゃん 「そうだね。」
わかったような、わかっていないような表情をしておばあちゃんが、席をたちました。
会計言語や複式簿記を使って、などと言うと、専門性が増してしまうような印象がありますが、その本質は、さまざまな事象を2次元化に近い方法でひらいて見せることであり、真実を皆にわかりやすく伝えることに他なりません。今回の例は多少乱暴でしたが、型にとらわれずに複雑怪奇な物事を単純化・可視化することは、我々コンサルタントの重要な役割のひとつと考えています。 (終わり)
Vol. 20:【コラム】】おばあちゃんにもわかる債務超過 ②
【楽園のコラム Vol.20】
おばあちゃんにもわかる債務超過 ②
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 28th October 2022
1945年の終戦時、玉音放送の難解な漢語を含んだ内容が、結構な数の臣民には即座に理解できるものではなかったという話を聞きます。それこそ、耐えがたきを耐えて戦争を続けろと宣っていると理解してしまった中隊長もいたということですから、南方のジャングルや北方の荒野で銃を構えながらも短波で流れてくるラジオに耳を澄ました満身創痍の若い兵隊さんたちにとっては、とてつもなく不便なものに感じられたことでしょう。
今回はすぐにでも、会計言語のひとつである「バランスシート」の右側(貸方)に 『真実を映し出す魔法の鏡』 を据えて複雑怪奇な世界観を単純明快化する、というお話でおばあちゃん編を終わりにしたかったのですが、駒をいくら進めても振り出しに戻ってしまうロックダウンジェネレーションの我々(4月28日現在バンガロールにて傷心中)ですので、閑話休題・・と襟を正すふりして、さらに茶飲み話が続いてしまうくらいのアソビ心をもったとしても大勢に影響はないでしょう。
続けます。「やさしい日本語」という取り組みをご存じですか。阪神淡路大震災時、外国人被災者のための情報提供が発災から半日後に英語では始まったものの、当然、英語圏出身者だけではなかったために伝達には限界があり、混乱を引き起こしてしまったといいます。災害時は、発災後72時間が生死を分けると言われており、速やかに情報を伝達する必要があるのです。こういった経験を生かして、外国人に災害情報を「迅速に」「正確に」「簡潔に」伝えるべく、弘前大学社会言語学研究室や一橋大学国際教育センター等で研究され始めたのが「やさしい日本語」です。災害時だけでなく、平時における外国人への情報提供手段としても利用され始め、行政情報や生活情報、毎日のニュース発信など、全国的に様々な分野での取組が広がっています。
これには、 1.できるだけ余分な情報をカットする。 2.伝えたいことを前に持ってくる。 3.必要に応じて補足情報を加える。 4.一文中で一つの情報提供に留める。5.一文を短くする。 6.主語と述語を明確にする。 などのガイドラインがあります。前述の玉音放送を例に挙げると、その冒頭部は、
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」
ですが、これはたしかに現代のわたしたちにとってはやるのかやらないのか、不明なところがあります。
これを今の「おとなの日本語」にすると、
「私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。私は政府に対し「米国・英国・中国・ソ連の4カ国に、共同宣言を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。」
となり、すこしただならぬ感がでてきます。これをさらに前述したガイドラインにのっとって 「やさしい日本語」化してみると、
「日本の国民へ – 日本の政府は今日か明日にも戦争に負けたことをみとめます。つまり我々はアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4か国のポツダム宣言のすべてを受け入れます。それは主権をもつ私が、これが日本がとることができる唯一の方法であると考えたためです。」
このくらいしてあげて、かつ陛下が切迫感をもって読み上げれば、かなり音質の悪いラジオでも、なにが起こったかが伝わるでしょう。重大なポイントとしては、ここまで余分を排除しつつ補足も行い、さらに伝えたいことや本質を最初にもってきてカンタンな表現にするという行為は、日本語や日本そのもの(文化や歴史を含む)を熟知した真正日本人にしかできないであろうということです。
しかし「やさしい日本語」 、いいですね。やさしいからこそ、曖昧さが排除され、YES/NOや、5WIHがはっきり浮き出てきて、ビジネス・シーンで使えば単刀直入な交渉ができそうです。終戦ついでに言いますが、GHQは占領時代に、英語そのものではなく、英語コンプレックスだけを日本国民に植え付けて去りました。つまり米国への憧れと従属をゆがんだ形で達成させる方針をとったのです。
しかしそんな呪縛はもう別に解いてもいいのではないでしょうか。すでに世界で9番目に母語話者の多い日本語を操る日本人が、さらに「やさしい日本語」を第2日本語として自在に流ちょうにTPOに合わせ使い分けることで、それが世界中でまたたく間に手軽で人気の言葉となり、我々の海外ビジネスが格段にやりやすくなるなんて仮説を立てるのは楽しい。次号は「会計言語」に戻ります。 (つづく)
Vol. 19:【コラム】】おばあちゃんにもわかる債務超過 ①
【楽園のコラム Vol.19】
おばあちゃんにもわかる債務超過 ①
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 20th October 2022
今は亡き筆者の祖母が、昔、野球のテレビ中継を見てこういったそうです。「あそこから球を投げる人(投手)は大変だねえ。あんな遠くでかまえるこん棒(バット)にじょうずに当ててあげるんだから。」
“ピッチャーとバッターは敵同士” というそもそもの条件を祖母は知らなかったのでしょう。でなければこんな哲学者のつぶやきのようなものは生まれません。奇しくもこの哲学こそ、世界の王貞治 直筆ノート”気”の章第7項 の心構え 「こちらが待ちかまえているところへ投げ込んでくるのだから打てぬ訳がない。」 の世界観そのものであり、頂点を見続けた男がついに祖母の領域にまでたどり着いてしまったということでしょう。物事の 「そもそも」 の部分を考え直すだけで、人はとんでもない発想に至る可能性があります。
「そんなに大変なら“ケッサン”やらなきゃいいんじゃないですか。」 新卒サラリーマンとしてとある企業の本社経理部に配属された2000年4月のうららかな春の日、思わず口を突いて出たあの一言を自分でもよく覚えています。1年中で一番話しかけづらい雰囲気を身にまとった決算最盛期の異形の経理部職員たち(多分自分たちはそれに気づいていない)の中に放り込まれた迷い猫、たまに相手してもらえたかと思えば 「ケッサンが始まるとほんとユウウツだぞー」 だとか 「君もいずれわかるよ、ケッサンのツラさがねー」 などと先輩方の呪文を聞かされ続けた末、どうにもやるせなくなって出た無知な新人の迷言がそれだったのですが、そもそも、決算にまつわる 「そもそも論」 を聞かされていなかったのですから無理もありません。
例えば、企業の決算数値を今か今かと心待ちにしている人なんてそもそも存在するのか?(→ YES!厳然と存在する。) それが企業の果たす義務かつ経理マンの宿命だから決算をするのか?(→ 一応YES!だが真の理由はそれが自社のⅤ字回復戦略のためのキラーアイテムとなりうるからだ。)決算を経て法人税を日本国に支払う意義はそもそも何なのか?(→ 国富増強と富の再分配だ!)こういう話は、4月のなるべく早い時期に新人諸君にしてあげたほうがよいでしょう。
それはさておき、既存の 「そもそも論」 にまるで束縛されていない 「年次ケッサン不要」 発言は、逆説的にその数年後に始まることになる四半期決算の恒常化、そして格段に精度が高くなった月次決算、さらに日次決算なんていう概念の登場をも予見してたかのようです(先輩方、お世話になりました。)。年の瀬の大掃除のように仰々しかった年次決算作業が、究極的には日常的に行われて経営に活用されてしかるべきだったのだと、今では多くの経営者が気づいているのです。
ところで、「そもそも」 を自分の口癖にしてしまうことで、複雑怪奇な世の中が一気に単純なものに感じられてくるのは不思議です。それは 「自分のおばあちゃんにもわかるような単純明快な理論展開」 を常日頃から心掛けるということにも通じ、自分のまわりの理解者を増やすのにもとても良いかもしれません。企業経理の世界に身を置く方々は、会計言語と呼ばれる道具とルールを駆使し、それはお互いの話し言葉が分かり合えなかったとしても、経理部内の業務がある程度成立してしまうほど便利なものなのですが、その専門レベルでとどまってしまうのであれば、わざわざ数字を作って公表する意味がありません。会計言語と数値を、それこそおばあちゃんにもわかってもらえるほど単純明快に翻訳してはじめて、万人に有用な情報になると思うのです。
そこで今回と次回は、近年よく聞く 「企業の債務超過」 を例に挙げて、それをあろうことか貸借対照表(バランスシート)の世界観をもってしておばあちゃんに説明することが果たして可能かどうか、にチャレンジしていきたいと思います。
言うまでもないことですが、「債務超過とは、そもそもどのような状態をいうのか。」 という疑問に対しては、これまでも無数の識者たちが回答してきています。その大半は、「負債の額が資産の額を超過し、資産を全部売っても負債を返しきれない状態のことであり、別の言葉でいえば、累積赤字が株主資本すらも上回った状態である」 という内容であり、いかにも沈没寸前の船の切迫感が伝わってくるようですが、あれ?そもそもこういった説明は、借方と貸方に分けられたあの長方形の物体(バランスシート)が読者の頭の中にあることを前提にしてはいないか?と思うわけです。
いけません。そんなことでは、長方形の物体など知らない、そして今後も知る必要がないおばあちゃんに無理やりにでも興味を持ってもらうことなど期待できません。そこでですが、いわゆる通常の企業のバランスシートの右側には 『真実を映し出す魔法の鏡』 を据えてみることにします。一方、債務超過の企業のバランスシートには、それに少し細工を施すことで 『負の光を放つ月と、浮かび上がる禍々しい影』 に登場してもらうことにします。その単純明快な物語展開への挑戦は、次号に続きます。
Vol. 18:【コラム】】ZOOMの向こう側の違和感 (3) -スリランカ会計の窓 特別編-
【楽園のコラム Vol.18】
ZOOMの向こう側の違和感 (3)
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 20th October 2022
通称ウソ発見器と呼ばれるもののひとつに、ポリグラフ (Polygraph) という1921年に米国で発明されたものがあります。人の生体反応を同時記録することによって、「被検者がある事象を記憶しているか否か」を判定するというもので、平たく言えば「それは私の記憶にございません」と言い張る被検者が「実はお前、記憶しているだろう?」と発見器に判定されれば、そのウソが暴かれたことになるという仕組みです。ポリグラフ大国の米国では、多くの企業が従業員の不正を暴くためにこれを使用してきましたが、このイエスかノーかの解を発見器にゆだねるということには、やはり道義上の問題が絶えなかったようで、現在では監視カメラやパソコンの監視ソフトを使った、より客観的な情報から証拠やアリバイ等を得るという手段に取って代わられているようです。
唐突に今回の、いえ最終的な結論を言います。インドの職場において、従業員の熱量とぬくもりのビッグデータ、つまりは生体情報(体温・血圧・心拍数・瞳孔・声紋・話題性向・言語発出パターン・身振り手振り・一定時間内の動線傾向など)をZOOM面談の録画や、各所に設置した固定カメラ、センサーなどから収集して、AIが過去の実績をも精密に学習した上で、「今から3か月以内に貴社の労働組合員20名以上によるストライキが決行される確率は25%です。」と、はじき出すのは技術上可能であります。これが、堀下栄太氏(VALUENEX(株) ビジネスデザイン室リーダー)の情報解析技術者としての見解です。これが本当だとすれば、日本とインド間の約6,000kmのリモートワークで人心掌握が片手落ちになってしまうどころか、とんでもない量の情報と解析分析結果が手に入ることになります。しかし、はじき出されたのは25というパーセンテージです。ウソ発見器のような、イエスかノーではないのです。
AI、とてもいいです。人はそもそも「見たくないものは見えないフリをします」し、「信じたくないことをあえて深くは考えないようします」し、ましてや何か灰色のものがぼんやり見えてきたところで、「平穏な職場にあえて波風を立たせるような面倒くさい裁定は下したくはない」というのが人です。その点AIは、その権限さえ与えれば、ずばり言われたくもないことをあえてはっきりと冷静に言ってあげられます。しかし、しつこいようですがどんなに踏み込んでみたところで数字は相変わらず25というパーセンテージです。実はドラマはここからなのです。25という数値を引っ提げて、ボスはストライキ首謀者になる確率の高そうな人間を特定して自主退職勧告交渉を始めますか?あるいはボスみずから乗り込んで現場主義を再開しますか?それとも時期尚早・緊急性なしとみて目立った行動は差し控えますか?
今まで見えなかった解析分析世界が見えてくればくるほど、いよいよ人が人の事に踏み込んで考えて動いていかねばならぬ時代に突入するでありましょう。人が人であるための尊厳を忘れずに、対情報反応力や大胆仮説力を磨く、その労力の大きさたるや、前時代の比ではなくなります。人類は、例えば下に示すようなたぐいのグラフに踊らされている場合ではないのです。
このグラフです。見出しと曲線だけを眺めると、「なるほど、ビール系飲料の販売量は、過去4年間ほぼ横ばいだが、そのかわり低アルコール飲料の販売量が順調に伸びている。」→ならば俺もビールのついでに低アルコール飲料も買ってみるか!という気持ちになるかもしれません。ところが同じグラフの数値表示上のからくりを見抜いてしまった場合はどうでしょう(左右の目盛りの違いに注目!)。「低アルコール飲料の販売量は、前年比5%増のペースでわずかに伸び続けているものの、ビール系飲料の販売量は、過去4年間で実にその3倍も落ち込んでいる。」→各世代のアルコール離れが進んでいるのかな、よし俺も週2日は禁酒するか!となるかもしれません。
これからの人類は、とくに上の前者パターンのように、たかだか2次元グラフの恣意とからくりに踊らされるようでは、人知を超える人工知能AIと共存などできません。人類が無知丸腰でAIとの接点を持つようなことが絶対起きないよう、例えばですが、「対AIコミュニケーション優位論」、「対AIリーダーシップのススメ」、「対AI認知心理学」などが早々に提唱され、活発に論じ合われることで、人類はいかにAIを愛すべき理解者として認めるか、逆にAIにはいかに人類の尊厳を認めてもらうか(結局これも人類側の覚悟にすぎませんが)、その上で両者の究極の使命分担が果たせるか、ということに気持ちを注いでいかねばなりません。そうそう、認知心理学といえば、本来は人が物事を感知するその起点から、感覚入力→変換→還元→精緻化→貯蔵→回復、最後に使用(=行動)するところまでを科学する学問です。つまり、AIのデータ解析アルゴリズムに似ているのです。神がこしらえた人類について人類が研究することができるというのなら、人類がこしらえたAIを人類が丸裸にして研究できない理由などありましょうか。
さて、これまで全3回にわたる「ZOOMの向こう側の違和感」のとりとめもない内容の根本は、人類の喫緊の脅威かつ最後の望みでもあるのはAIなどではなく人そのものであるということでした。最後に先人の編み出した有名な法則に、ちょっぴり私見を加えて締めくくりたいと思います。
下の三角形の図は、労働災害時によく引用されるハインリッヒの法則です。1件の重大災害(死亡事故含む)が起こる背景には、29件の軽微な災害がすでに起こっていて、さらに300件の未遂(ひやりとした、あるいははっとした危ない経験)が日常的に発生しているという状態を示しています。
さらにビッグデータ的な観点からいえば、この300件のさらに下位には、個人レベルの「無数の違和感」が存在していて、それを脳が「見たくないもの」あるいは「聞きたくないもの」に無意識に分類して、ほうっておかれているものが3,000件はあるはずだ、という私見です。氷山の不可視領域に、失敗予備軍情報がたんまりと。ああ違和感のビッグデータよ、3,000の自己反省はとうてい無理でしょうから、近い将来、AIに反省すべき優先順位くらいはつけてもらいましょうね。その後の冷や汗もの、涙ものの大仮説樹立と有言実行にこそ人類の未来を託しまして。 (おわり)
本章は、過去3回にわたり、コロナ禍におけるリモートワークの進化形をAIの切り口から探るべく、堀下栄太氏(VALUENEX(株) ビジネスデザイン室リーダー) への取材とインタビューを重ねて構成したものです。最後に、氏に寄稿していただいたあとがきを記して終えることに致します。
– あとがき– 肌と機械の温もりに溢れた暑苦しい世界
堀下栄太 (VALUENEX(株) ビジネスデザイン室リーダー)
情報技術の発達で、遠隔から莫大な情報を取得できる時代だ。その先にある「思考」の獲得すらも機械が担ってくれるなら、人間は相当に楽をできるのではないか、いや意外とそんなことにはならない、というのが今回の結論であった。勿論、テクノロジーを使役して高度な現場管理を実現することはできるが、それも機械とヒトのお互いの理解・尊重のもとで初めて可能になるものだ。さらに、結局のところ人間社会における意思決定はヒト固有の認知プロセスであり、この責務から人間は逃れられない。未来は、きっと相変わらず、肌と機械の温もりに溢れた暑苦しい世界なのだ。
Vol. 17:【コラム】】ZOOMの向こう側の違和感 (2) -スリランカ会計の窓 特別編-
【楽園のコラム Vol.17】
ZOOMの向こう側の違和感 (2)
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 25th October 2022
さて前回より、会社内外で用いられるZOOMをはじめとするオンラインツールから、自然言語のみならず 「人の熱量とぬくもりのビッグデータ」 を解析し、経営者が様々な仮説を立てることができれば、遠隔地からの内部統制の飛躍的改善が可能になるのではないか、というお話をしているのですが、解析を終えた機械からいよいよバトンタッチを受けた人間様が充分な仮説力を持ち合わせていなければ、その解析結果は宝の持ち腐れ、それどころか機械にもてあそばれることにもなりかねません。前回協力いただいた堀下栄太氏 (VALUENEX(株) ビジネスデザイン室リーダー) は、しばしば「AI・ビッグデータ解析」という名のもとにおいて、意思決定者がAIを過信してしまう、ひいてはデータを巧みに操る「技術者」をも妄信対象としてしまうことが、意思決定者自身の思考の停止をまねき始めているのではないか、と非常に危機感を抱いています。車が完全自動運転化されたとしても、例えば、「今最も話題性のある都内のいずれかのラーメン屋のラーメンに1時間以内にありつきたい」 という車の持ち主の思考・目的なしでは、1センチたりとも動きはしませんよね。
しかし一方で、逆説的に人間の仮説力の恐ろしさにも言及しなければなりません。前回紹介した2020年第25期日本学術会議会員名簿のリストにある約200名の会員が関わっている、公開済の約4,800件の研究分野の分布図(図①と②: 前出の堀下氏の個人的な解析作品)を操作してみて、おまけに東京大学関係者の研究分野の分布図(図③:同氏の作品)をも使って、「日本学術会議の存在意義」についての仮想国会答弁を、与党や野党になったつもりで展開してみましょう。図中、青→黄→赤と色が変わるにつれて研究頻度が高くなっています。
ちなみに当国会答弁はフィクションであり、実在の人物・団体とはほとんど関係ありません。あくまで筆者自身の仮説力を養うために堀下氏の助言のもとに試作した妄想答弁です。
野党代表質問者:
「総理は、図①を参照して、当学術会議は、研究分野に偏りがなく、自由闊達な研究団体だ、とおっしゃる。しかし2017年からの研究分野に絞った図②をご覧いただきましょう。見事に、政策・制度・国家の研究に偏っているではありませんか。これでは、政府の意向が何らかの形で反映されているという 「分析」結果を導かない方が無理というものです、総理?」
総理:
「研究分野および研究頻度について、政府が意見を申し上げるということは一切ございません」
野党代表質問者:
「そうおっしゃるのであれば、総理の当学術会議の一部会員の任命を拒否したというご行為は、まさにその真逆ともいえる事実です。これだけ研究分野を政策・制度・国家に集中させつつ、さらに現政策に批判的な研究者達を排除しているという状態は、鉄の鎧ともいえる周到な理論武装をさせて、当学術会議を政府の都合の良いものにしている証拠であります。」
総理:
「提示いただいた図②についてですが、そもそも、各研究には過去3年を切り取っただけでは把握できない長期継続性というものがあり、また図①を見てご理解いただけるように、ひとつの分野にとらわれない、分野横断的な素晴らしい研究も多数存在しているという明白な事実もあります。それを無視しての定点観測的ともいえる安易なご「分析」は、受け入れがたいものがあります。」
野党代表質問者:
「それでは、主要国立大学の2017年以降の研究分野の分布(例-図③:東京大学)をご覧いただきましょう。総理はどう思われますか。たとえ短期間を切り取ってみたとしても、研究分野はまんべんなく網羅されているではありませんか。これら他団体のデータを「分析」し比較すればわかるように、近年の日本学術会議における偏りは、まぎれもない異常値だ、と申し上げているのです。」
総理:
「先程も申し上げました通り、1949年から続く、歴史ある当学術会議を長期的に「分析」した上で、依然として当会議は、学問の自由が保障された、文字通り自由闊達な研究団体であるものと認識しております。」
・・・・ 仮想国会答弁の作成トレーニングは、なんとも疲れました。しかし、総理側と野党側どちらを見ても、同じ約4,800件のデータ解析結果からはじまったはずの「分析」が、仮説とともに見事に右と左へ暴走していくさまがお分かりいただけたと思います。仮説力にも人間の尊厳が要求される時代といえます。
今回は、2021年以降は、「対AIコミュニケーション優位論」 「対AI認知心理学」 「対AIリーダーシップのススメ」 等が激しく議論されていくであろう、というところまでなんとか書きたかったのですが、無駄に国会答弁が長引いてしまったので、それは次号に回したいと思います。一体どうなる?「人の熱量とぬくもりのビッグデータ」解析と、遠隔地からの内部統制の飛躍的改善。。。 (次号に続く)
Vol. 16:【コラム】】ZOOMの向こう側の違和感 (1) -スリランカ会計の窓 特別編-
【楽園のコラム Vol.16】
ZOOMの向こう側の違和感 (1)
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 20th October 2022
- 人の熱量やぬくもりのビッグデータ?
数字や数値データは、物事を可視化し曖昧さを回避することを可能にする、非常に便利な人類の共通概念です。上司や部下との会話にひとつやふたつの具体的な数値を織り込むことが、物事の優劣、信憑性の高低、事態の切迫度などを伝える際には非常に有効であることは皆さんがご承知の通りですし、部下から上がってきた会計書類を数分間ぺらぺらめくった上司が、事象の違和感や問題解決のヒントをあぶり出し、部下達に対して矢継ぎ早に具体的指示を出していく勇ましい姿を見せるだけでも、組織全体がピリッと引き締まるものです。しかしながら、そんな会計書類に代表される、有用な数字情報からでも、残念ながら、人の熱量、人と人の間に生まれるぬくもりや摩擦熱までは感じとることはできません。組織であることの醍醐味とは、例えば人と人の丁々発止のやりとりであったり、打てば響くような連係業務であったはずです。乱暴に言えば、それらは組織の最小範囲である半径約5m以内の人々の5感が駆使されることによって発生し、やがて組織内外を横断縦断して、文字通り熱伝導されていくものです。
個人や人間関係が醸し出す、熱量やぬくもりという「情報」をいわゆるビッグデータと呼べる水準になるまで貯えて、例えば財務諸表のように体系的かつ定期的にまとめることが可能になれば、そこから大層なビジネスアイデアは生まれなくとも、ちょっとした違和感や、事件事故を未然に防ぐヒントが浮かび上がり、遠隔地からの内部統制に大きな改善が期待できそうです。ただし、そういう表や図を見て、「ある仮説」を立てる能力がなければ、ビッグデータの持ち腐れとなってしまいますが。
- 自然言語処理に未来を託すことができるか?
唐突ですが、下の「地図」をご覧下さい。これは、「2020年度の日本学術会議会員によって過去に研究されてきた分野」の分布を示した二次元マップです。ちなみに、2020年9月の菅首相による当会議の一部会員の任命拒否行為が、「学問の自由が脅かされる重大な事態である」などと、世間で大きな問題として取り上げられており、今注目を浴びている話題の1つです。
上図は、マッピング(膨大な量の事象の有機的な関連付け)と呼ばれる技法を使ったコンピュータ分析の1例で、地理空間情報分野で国際会議にも登壇している堀下栄太氏 (VALUENEX(株) ビジネスデザイン室リーダー) が個人的な作品として公開したもので、2020年第25期日本学術会議会員名簿のリストにある約200名の会員が関わっている、公開済の約4,800件の研究データを解析して、各分野の研究項目の頻出度と相互関連性を示した分布図となっています。さあ、ここからが血の通った人間の出番です。日本学術会議の存在意義と、国益への結びつきについて、大胆な仮説を得ることができるでしょうか。筆者は。。。ダメでした。不慣れなルールに基づいているであろうこのマップを眺めても何の物語も浮かんでこないのです。
自然言語とは、人間が日常用いている書き言葉や話し言葉の事であり、情報処理の分野において、コンピュータで用いる「プログラミング言語」 と区別する目的で用いられています。上図は、公開されている会員の研究データという自然言語の処理を、技術的には機械学習と空間情報分析をも掛け合わせることによって作成されており、このマップのデータは色々な条件指定を行うことによって、誰にでも広げたり絞り込んだりすることができます。
今月号では、この自然言語処理についての簡単な紹介をするに留めますが、この分野の目指す人類への貢献は、筆者のようなITに疎い人間にとっても非常に想像力が掻き立てられるものであります。なぜなら興味深いことに、上図の作成者である堀下氏によれば、このマップから、前述した「日本学術会議会員任命拒否問題」に対する、国粋主義者いわゆる右翼に有利な仮説を導き出すことも、逆に左翼的な団体に有利な仮説を導き出すこともできてしまうというのですから。
さて、次回はその驚くべき仮説の組み立て方のご紹介とともに、ZOOMをはじめとするオンラインツールから、自然言語のみならず「人の熱量とぬくもりのビッグデータ」を集めて分析し、経営者が様々な仮説を立てつつ検証していくことが可能かどうか、はたまたそれが遠隔地からの内部統制の飛躍的改善につながるのかどうかを、堀下氏の大胆な見解をふんだんに取り入れながら探っていきたいと思います。(次号に続く)
Vol. 15:【コラム】先達はとうに知っていた -ガンディ・サイババのことば-
【楽園のコラム Vol.15】
先達はとうに知っていた
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 15th October 2022
今のスマートフォンは、AI(人工知能)の世界的権威の方に言わせても、一台数十億米ドルに相当する性能のものらしいですね。ただし、平均的な人間がどうすればそのテクノロジーを生かして生計が立てられるか、の解答に社会は至っていないのだとか。
昨今のイノベーションによる企業業績の増大と労働者賃金の停滞がもたらす所得格差の深刻な拡大が生じているということは前回お話しましたが、一方で、ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマン教授の言う、「ヒトの収入と感情的幸福の関係は、年収75,000米ドル(現在のレートで約800万円)までは収入と幸福が比例し、それ以上は比例していかない」説を信じるとすれば、賃金だけで判断するとヒトの幸福度を見誤るということでしょうか、うーむ。
首を傾げだしたところで、インドの偉大な先達の言葉を振り返ってみましょう。まずはマハトマ・ガンディさんです。「私たちの祖先はぜいたくや快楽を遠ざけるように諭し、(中略)命を磨り減らす競争のシステムなど持ってはおりませんでした。各人がそれぞれの職業、商売に従事し、妥当な額を得ておりました。 これは、私たちが機械を発明する術を持たなかったからではありません。むしろ私たちの祖先は、いったん私たちがそのようなものを追い求めるようになると、私たちは奴隷に成り下がり、道徳的品性を失ってしまうと見抜いていたからです。そこで熟慮の末、手足を使ってできることだけをやるように定めたのです。私たちの真の幸福と健康は、手足を適切に使うことにあると知っていたのです。(『ガンジー・自立の思想』 参照)」
そしてサティヤ・サイババさんです。「動物たちは神を必要としない。本来の使命から逸脱して、道に迷うことがないからである。人間だけが、自分たちが生きていくのに必要な量以上の蓄えをしたり、欲により他者と無為の危害を加え合うことで苦しみ、救いを求めるのである。『サイババ 世界を救う言葉』 参照)」
まあ、今までの地球の歴史を1年に換算すれば、人類のそれはたった2、3時間前に始まったばかりですから間違いも犯すでしょう。そういうときは道路に信号があるように、コンピューターや機械の進化のし方させ方に新しいルールや罰則をつくればいいだけだと思うのです。これもインドですが、ケララ州のイワシ漁民の携帯電話による市場革命の話や、さらにケニアのガラケー版フィンテックM-PESA”による経済革命の話など、ガンディさんやサイババさんが泣いて喜びそうなイノベーションだって実際存在するわけですから、度を越さない未来は、ヒトにとってとても明るいはずです。
以上
Vol. 14:【コラム】脅威は止めよう -コロナ禍のスリランカより-
【楽園のコラム Vol.14】
脅威は止めよう
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 15th October 2022
新型コロナウイルスの災禍中、自分の体温以外のぬくもりのないところで、ぽつねんとコンピュータをいじっていると、通信の対岸にある端末には、その反応や結果がリアルタイムなのか数時間後にやって来るのかに拠らず、必ず人間がいるのだということを、その人の吐息のように実感させてくれます。ああ、コンピュータは道具でした。しかし、これまでのように人との過剰な接点接線の渦にいた時は、あたかもコンピュータが頭上で人界を束ねていて、民が各々天のコンピュータとのみ契約をして生きることこそが有難い、そんなイメージで仕事をしておりました。
1947年から1973年にかけてのテクノロジー進歩の黄金時代は、主として機械・科学・宇宙工学といった分野が主であり、イノベーションと生産性の増大は、労働者の価値を高め、高い賃金をもたらしました。米国では1948年から1969年にかけて4度の景気後退はあったものの、そのたびに増加した失業率も回復期になれば下がり、新しいテクノロジーの導入は生産性の増大をもたらしましたが、その成長の分け前は賃金増という形で労働者に還元されていました。
ところが、その後イノベーションの主流が情報テクノロジー分野になり、労働生産性の伸びと労働者の報酬の停滞が進み、その差は著しく乖離していきます。さらに1990年から1991年の景気後退のあとには、「雇用なき回復」、つまり企業経営者たちは労働者を雇いなおさなくても、事業回復を推進していけるように変身を遂げていきました。
米国労働統計局の示すデータによると、1973年以降、GDPに労働者の報酬が占める割合「労働分配率」は下がりはじめ、21世紀に入ると急降下します。これは米国に限った話ではなく、日本・カナダ・フランス・イタリア・ドイツ・中国では、米国以上に大きな低下がみられるという、経営学者たちによる分析があります。これは経済全般に及ぼすイノベーションの利益がほぼすべて、労働者ではなく企業の所有者や投資家に流れこんでいっているという証拠です。別の言葉でいうと、企業業績の拡大と労働者賃金の停滞がもたらす所得格差の深刻な拡大が進んでいるのです。
今年2020年の中盤以降、企業経営者たちは間違いなく経営危機からの脱出・事業転換による生き残りに努めてきます。その業績のV字回復はつまり、生産性の増大→賃金の上昇→購買力の増加という有史以来の法則に従うべきです。それが真ん中「賃金の上昇」・労働者部分を完全に無視して進めようと社長さん達が考えるのであれば、現在もてはやされているイノベーションのベクトルは、新型コロナウイルスの進行以上に人類の脅威となるのは明らかです。機械とは、「労働者」の生産性を上げる道具なのであって、「労働」のみの至上を目指すものでは決してありません。そんな脅威は止めましょう。次号は、マハトマ・ガンディーさんの自立の思想を引用しつつ、経済活動における人間の幸福とは何かについて考えてみたいと思います。
以上
Vol. 13:【コラム】】ちょっとした数字の「違和感」を大切に -スリランカ会計の窓 特別編-
【楽園のコラム Vol.13】
ちょっとした数字の「違和感」を大切に -スリランカ会計の窓 特別編-
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 5th October 2022
海外の現地法人で働いている皆さんが、日本本社に対して毎月のあるいは毎年の会計報告を(往々にしてせかされて)行うとき、まるで「本社経理部の職員たちのために」書類をつくっているような感覚に陥るときがありませんか?
実は当の本社経理部の人間たちも、集計作業担当者レベルであれば実は意識に大差はなく、決算作業といえば、少年少女時代の夏休みの膨大な宿題に大慌てでとりかかる感覚に近いものがあります(注:あくまで個人的体験によるもので、皆さんは・・)。
しかしながら、人類最高の発明のひとつとまでいわれる複式簿記を駆使して仕上げられる月次経理書類あるいは決算書類というものは、経理を知らない人が数十分眺めただけでも、いつもと違った広い視野で会社や事業を知ることができます。「決算書はこう読み解け」なんていうビジネス書のようなことはいわずとも、とくに現地法人の社長さんたちには、毎月出てくる経理書類に潜むちょっとした「違和感」をすくいあげていただきたいのです。
少々古い話ですが、ある日本の出版社で起こった、数年間に及ぶ経理責任者による総額約9億円の個人的横領は、販売した書籍の売掛金の不正水増によるものでした。「たった一人の熱狂」にふけっていた有名社長が、月に2分間でも、上がってくる決算報告を眺めていれば、その違和感に気づいたことでしょう。
ホリエモンこと堀江貴文氏は、「会社四季報」を暇なときにペラペラ眺めるのが好きで、ある日たまたまニッポン放送とフジテレビの間の奇妙な株の持ち合い具合に違和感を持ち、フジサンケイグループ買収を思いついたそうです。
田中角栄元首相、通称「わかったの角さん」は、訪ねてくる人の陳情、官僚からの報告などを、1,2分聞いただけで、「わかった、わかった、もういい。」と遮り、本質だけを見抜いてあらゆる物事を即決即実行していきました。一方、大蔵大臣時代、次官や局長からのごく形式的な報告において、上級職の彼らが気づかないような、細かな実務担当者レベルの間違いを指摘し、以後、彼らの頭を上がらなくさせたそうです。あらゆる情報と数字を事前に頭に入れておいたからこそ、ふとした違和感をくみ取れる状態にあったのです。
不正の発見のみならず革新的アイディアの湧出、さらには人心の掌握、すべて、ちょっとした数字の「違和感」をとらえることで可能になることがあります。まずは一番身近な数字である経理書類を眺めてみることから始めてみませんか。
以上
Vol. 12:【WAOJE コロンボ 起業家たちによるオンライン トークイベント開催 (2022年6月28日)】② -多様性の中を生き抜く -
【楽園のコラム Vol.12】
WAOJE コロンボ 起業家たちによるオンライントークイベント開催(2022年6月28日)
② -女性ジャーナリスト本人に取材して–
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 25rd August 2022
本トークイベントで、スベンドリニさんに語ってもらった信条や経験則の中で、聞き役として特に僕の印象に残ったのは以下の2つだ。
1. 多様性の渦の中で誓ってきたこと
“多様性にあっては調和とともに喧嘩も必要であるという覚悟をもち、違い(民族間・性別間・信条間)を苦とせずにむしろ大切に扱う。調和を時には壊して、人と自分の在り方を確立していく。”
2. 女性として男性と競って獲得できたものと、競わずに女性だけがもつ資産資源をもって獲得できたもの
“圧倒的少数派の政治経済分野の女性ジャーナリストであっても、女性だからこそ可能な活動領域や、取材方法が常にあった。どんな世界でも、男性と競うことなく女性であることを最大限活用する方法は結構あるものだ。”
僕の印象に残ったのはだいたい以上だったが、感じとる側にも多様性があるものだな、とつくづく思ったのは、イベントに参加してくれた知人女性に後日印象を聞いた時だ。「冷静な戦略の人」だな、と強く感じたという。
前回の【楽園のコラム Vol.11】でも述べたように、常に非多数派側であった人が、あえて人が選ばない道を選び(留学先を欧米ではなく極東アジアを選び、女性ジャーナリストとして政治経済分野を選ぶ等)、そしてその中でも最も優位な組織で活躍の場を求めて来たのは、多数派に翻弄されない立場を勝ち取るための、圧倒的かつ冷静な戦略と人知れぬ努力だということか。
日本で唯一の女性の新聞責任者であったJapan Timesの大門小百合氏は、上智大学卒で、ジャーナリストとして世界で最も栄誉のあるハーバード大のニーマン特別研究員に招へいされるなど、スベンドリニさんと共通の経歴をもっている。彼女による英字新聞としての世界への発信の仕方は、同じ日本の題材・事件でも、国内の新聞や世論には少ない「多様性」という切り口を常に意識するというものだった。受信する側の海の向こうでは、無数の「少数派」の視点こそが、むしろ多数派なのだということを思い起こさせてくれる。
2022年6月に首相が「国の破産宣言」をするほどの経済崩壊状態にあるスリランカ出身の人だから、その話だけでも聞きたいことは山ほどあったのだが、せっかく取材の国際的なプロへのいわゆる逆取材を、しかも日本語で行うことができるのだから、多様性をテーマに本音の部分に迫りたかった。まあ続編があることを期待しよう。「日本外国特派員協会の会長職は、事務局的な側面が強くて、ジャーナリストとしての仕事との両立がとてもむずかしいからみんな敬遠しがち、だから私が2回も担がれるのよ。」などと以前スベンドリニさんは茶目っ気たっぷりに言っていたが、任期満了後の彼女の今後の活動が、その選択の意図を明らかにしてくれるかもしれない。
スベンドリニ・カクチさん プロフィール:
スリランカ出身。日本への留学後、日英米アジアにおける多数の報道機関のジャーナリストとしての活動、関連する研究および教育を30年以上行う。2015年~2016年に日本外国特派員協会(FCCJ)会長を務め、2021年~2022年も同会長を務める。
Vol. 11:【WAOJE コロンボ 起業家たちによるオンライン トークイベント開催 (2022年6月28日)】① -多様性の中を生き抜く -
【楽園のコラム Vol.11】
WAOJE コロンボ 起業家たちによる オンライン トークイベント開催(2022年6月28日)
① -多様性の中を生き抜く –
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 23rd August 2022
弊社代表吉盛が支部長を務める、日系起業家世界連合(WAOJE)のコロンボ支部によるオンライン トークイベント「多様性を生き抜く 世界へのキャリアアップ/ 再び輝けるか、母国スリランカのひとたちの未来」を、ゲストのスベンドリニ・カクチさん(日本外国特派員協会会長)を迎えて2022年6月28日に開催しました。
スベンドリニさんは、母国スリランカのコロンボ大学法学部卒業までは母国内の非多数派民族として、日本に留学した当初は言葉と文化に不慣れな外国人として、ジャーナリストになってからはそれまで前例がなかった女性政治経済担当記者として、そして日本外国特派員協会では欧米出身者主流の組織での初の南アジア出身の会長として、その生涯は常に厳しい多様性の中でもまれてきました。
【関係写真】
そんなスベンドリニさんに、「人と真逆であることを大切にする」「機能しない”調和”は一度壊してでも再構築する」「多様性の中に生きることは、喧嘩や衝突をも肯定していくこと」などの興味深いキーワードを軸に、その生き方について語ってもらい、さらに日本にありながら日本の慣習や忖度に縛られない外国特派員協会という、日本人にとって不可触的なジャーナリスト団体について説明していただきました。
-楽園のコラムの住人より(前編): 鉄の女性達-
南西アジアの鉄のような女性たち、とひとくくりにするわけにはいかないが、彼女たちは時代世代を超えて相互に影響を受け合っているかもしれない。そんな仮説をもとに、数年前の僕の記憶からの話をする。
普段せっかちで現実的なはずのインド人たちが、スクリーンの幕が下りたというのに、老若男女かかわらず腰が抜けたようにシートにもたれ皆涙をぬぐって呆然としていた。2020年2月にインドで観た映画『Shikara』には今も特別な印象を抱いている。
隣国パキスタンとの緩衝地帯インド北部のカシュミール地方で1990年前後に起こった、イスラム教徒によるヒンドゥ教徒排斥事件と、事件後に故郷を追われたヒンドゥ教徒たちの28年以上にもおよぶ他州内で過酷な難民キャンプ生活を描いた作品だ。
主人公である穏やかな男性教授の最愛の妻は、動乱のショックとその後の長年の難民生活への絶望から、やがて精神を侵され、重い頭の病気を患ってしまう。衰弱へ向かう中、悲願であった故郷再訪を果たし、美しい湖に浮かぶ2人だけのボート上で、妻は静かに息を引き取る。
その夫のはるかな追憶シーンに、イスラム教徒による動乱と排斥事件を先導したといわれるパキスタンの悪の女性首相の実映像が現れる。イスラム圏内では史上初の女性首相となったベーナズィ―ル・ブットーだ。度重なる軍部のクーデターの中、同じく首相だった父は暗殺され、やがて娘の才女ベーナズィ―ルも権力闘争の渦の中に身を置き、首相を2回歴任することになる。
アフガニスタンのタリバンの勢力伸長に寄与し、対インド紛争では核による自己防衛も辞さない姿勢を明確にするなど、男尊女卑と言われるイスラム世界のイメージの真逆をいくような鉄の女性だったが、その生涯もまた、政敵によるともいわれる暗殺によって終わる。
このインド映画では悪の権化として描かれたその女性首相を、僕がなぜ思い出したのかというと、同じパキスタンにて後年ノーベル平和賞を受賞した少女マララ・ユスフザイを連想したからだ。マララは、同国のタリバン組織によって「女が教育を受ける事は許し難い罪であり、死に値する」と断じられその命を狙われ続けるも、女性の尊厳を世界に訴え続けたが、その鉄の意志は、この女性首相の生涯に強い刺激を受けたことによって生まれたのだという。
さて、同じ南西アジアのスリランカの話。世界で初めて女性の首相が選出されたのは、英自治領セイロン(現在のスリランカ)であった。シリマヴォ・バンダラナイケ首相は、その夫もかつての首相であり、仏教を国教化したり非多数派民族を抑圧する政策をとった挙句、結局夫は仏僧に暗殺されてしまうが、その後、夫が樹立し遺したスリンカ自由党をまとめ上げた妻は、なんと1960年から実に2000年までの間、首相を3度も歴任し、特に3回目の任期中には、彼女の娘(つまり元首相の父と現首相の母をもつ娘)が大統領を務めるという、ちょっと行き過ぎの権力状態にあった。
今回のトークイベントのゲストであるスベンドリニさんの道なき道を行くような女性ジャーナリストとしての経歴は、多数派と非多数派の民族間で26年も続いたスリランカ内戦(1983年-2009年)の前からすでに始まっているのだが、非多数派民族の弁護士の家庭で育った彼女は、多数派民族の棟梁であった当時の女性首相の民族原理主義政策の中で、翻弄されながら生きてきたことは間違いないだろうし、南西アジアが生んだ様々な女性リーダーたちの存在の光と闇に強い刺激を受けつつ、自分の道を選んできたのだろうかと想像すると、涼やかな瞳をたたえてきれいな日本語でその半生を語るその姿が、より印象的に映るのである。
スベンドリニ・カクチさん プロフィール:
スリランカ出身。日本への留学後、日英米アジアにおける多数の報道機関のジャーナリストとしての活動、関連する研究および教育を30年以上行う。2015年~2016年に日本外国特派員協会(FCCJ)会長を務め、2021年~2022年も同会長を務める。
Vol. 10:【レポート】インド・タミルナドゥ州アラビカコーヒーの森視察(2020年2月)-スリランカコーヒー特別編-
【楽園のコラム Vol.10】
インド・タミルナドゥ州アラビカコーヒーの森視察(2020年 2 月)-スリランカコーヒー特別編-
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 14th August 2022
インディアンザルも少女も凍える 2 月の熱帯の高地・・・・・。ここは世界の最果てのひとつ。 南インド随一の港湾都市チェンナイ市から、車で 7 時間、西方へひた走り、1 時間ばかり急斜面を登りきると・・・・・
標高 1800 メートル、“タミル人コーヒー”の聖域がありました。
運命の着地点、ここにあり。
セイロンコーヒー絶滅期の 1860 年代に、英国人の手によって、このタミルの高地に、森のコーヒー産業がもたらされています!
村の名はイェルカウド(タミル語で、イェル(湖)・カウド(森))。 民営にて、毎年約 3000 トンのアラビカコーヒーが森林栽培されているほかに、インド商工省傘下のコーヒー委員会の連絡事務所と研究施設があります。
8 種類以上のアラビカ種を展示し、村々への苗の有償提供(1 本 8 円ほど)と、訓練施設にて栽培者の指導も行っています。
その夜たどり着いた丘陵のホテルは・・・・
朝起きると、コーヒーの森と見事に一体化していました。コーヒーと生物多様性ををテーマに掲げた、インドでは大変珍しい、環境最優先のホテルグループ(INDeco Hotel Group)です。胡椒やバナナ、オレンジと共存しています。
ホテル内では、なぜかネパール人の技師が、タミル人オーナーのもつ 20 エーカーの畑を管理し、年間 10 トンのアラビカ生豆を生産しています。現在は、ちょうど収穫・加工段階にあり、20 名のタミル女性が働いています。
販売先については、「オーナー(不在)しか知らない」といって教えてくれませんでしたが、現在インド国内での需要は増えているはずです。州都チェンナイでは、タミルスペシャルティコーヒーを飲ませる店がどんどん誕生していますから。
最後に、この村のホテルや茶屋で提供されるコーヒーが、その味を求めてきた人を全く満足させるものではないことをお伝えして、報告を終わります。ここにも、地球の反対側のコーヒーの文化と、その価値をまるで知らされていない、森の人々が存在していました。 (おわり)
Vol. 9:【小説】Café NATURAL COFFEE 物語(その2)-スリランカコーヒー紀行-
【楽園のコラム Vol.9】
小説 Café NATURAL COFFEE 物語(その2)-スリランカコーヒー紀行-
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 14th August 2022
-コーヒーの森をつつみこむセイロンティの母性-
「コレは紅茶だろう?」 南インドからの客が、注文したコーヒーを飲み干した後尋ねてきた。むろん、品を間違えて出したわけではなく、そもそも当店に紅茶は置いていない。しかしそれは、自分の中に存在していたある仮定が、確証に近づいた瞬間だった。「茶畑を包摂した森で栽培されたコーヒーは、紅茶に近い風味になる。」
18世紀の思想家モンテスキューは、「カフェはユートピアな夢とアナーキーな陰謀が生まれる唯一の場所」といい、日本で最初の喫茶店カフェーパウリスタは、「鬼のごとく黒く、恋のごとく甘く、地獄のごとく熱き」という宣伝文句を“コーヒーといふもの”に載せた。
そんなスキャンダラスな飲み物を、スリランカで産業として復刻させるべく、2013年7月に専門カフェを紅茶の産地かつ世界遺産の街にオープンさせた。くどいようだが紅茶は置いていない。ただ、それが成り立つのは、マダガスカルとスリランカの地図上の区別もつかないような人々でも、セイロンティの名前だけは知っているという前提での話であり、いわば逆説的にその威光を借りているのである。
自国の紅茶史に実は明るくない大半のスリランカ人は、それ以前に絶滅したコーヒー産業とのアヤシイ関係についてもほとんど興味はない。お茶畑を縫う高原鉄道が、かつて世界一を誇ったこともあるコーヒー産業を担うために敷設されたという事実、ミルクティーしか置いていない道端の茶屋を、今もシンハラ語で「コーピカデ(コーヒーの店)」と呼ぶ事実、紅茶の産地キャンディの象徴・仏歯寺の一角の噴水とその記念碑は、いにしえのコーヒー公社が建造したという事実などは、彼らがその日を生きる上であまり重要ではないのである。
このように、コーヒーの森からみれば、セイロンティはまるで「後から嫁いできたお母さん」なのだが、しかし、その母性は、復刻コーヒーの風味やブランド力にまで注ぎ込まれていくのだから、やはり偉大だ。
現在、もっと直接的にセイロンティの懐を生かした試みを行っている。コーヒーの木の若葉から作る第三のコーヒー“テ・カフェ(珈琲葉茶)”の製品開発だ。鉄分を多く含み、女性に嬉しい効能が期待される。まさにセイロンティの母胎の中に、これからも生きようとしている。(つづく)
Vol. 8:【小説】Café NATURAL COFFEE 物語(その1)-スリランカコーヒー紀行-
【楽園のコラム Vol.8】
小説 Café NATURAL COFFEE 物語(その1)-スリランカコーヒー紀行-
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 13th August 2022
-セイロン紅茶のない喫茶店-
木製の重厚な扉が開かれると、軽装の若い女性2人組が、まるで洞窟内にでも踏み込むように入ってきた。ガラス窓の少ない店内に、朝の陽射しもすうっと入ってくる。
やっぱり今日も西洋人客の入店からスタートだ。黒いスーツ姿の現地人女性マネージャーが笑顔で出迎える。そして、いつものようにひと悶着がはじまる。「えっ、紅茶がないって、ここスリランカでしょう?メニューを見せてよ。」
Café Natural Coffeeは、2013年の7月にキャンディ市の世界遺産・仏歯寺の目の前で誕生したフェアトレード(FT)見込みカフェである。何がFT見込みかというと、近隣の山岳で作ったコーヒー豆を、その取引価格の50倍の値段の飲み物にして外国人客に提供するシステムを包み隠さずに公開している点にそのヒントがある。
通称・環(わ)の森の民たちは、自分たちが作ったコーヒー豆を使って暴利をむさぼっている(ように見える)日本人経営のカフェを簡単に覗きに来ることができる。一方、この国にしては値の張るものを飲まされた外国人客は、コーヒー豆を作っても一向に潤っていない(ように見える)森の矛盾を偵察することが可能だ。
それはつまり、この価格マジックに気付いた利害関係者の力によって、近い将来、本来あるべき公正取引価格が適用されてしまうかも知れないということだ。FT見込みカフェは、その流れに身を任せるだけの、極めて受け身のFT推進派といったところか。
以上は極論であるが、とにもかくにも、規模は小さいけれど思う存分フェアトレードができる土壌が、このキャンディに生まれたのだ。 (つづく)
Vol. 7:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年7月8日)】
【楽園のコラム Vol.7】
会計・税務コラム (2022年7月8日)
-GOC(グッド・オールド・コロンボ)化現象(番外編2)-
(スリランカ観光・情報サイト『Spice Up』上の 吉盛真一郎による執筆記事)
Uploaded on 13th August 2022
Vol. 6:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年7月1日)】
【楽園のコラム Vol.6】
会計・税務コラム (2022年7月1日)
-GOC(グッド・オールド・コロンボ)化現象(番外編1)- (スリランカ観光・情報サイト『Spice Up』上の 吉盛真一郎による執筆記事)
Uploaded on 12th August 2022
Vol. 5:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年3月29日)】
【楽園のコラム Vol.5】
会計・税務コラム (2022年3月29日)
-GOC(グッド・オールド・コロンボ)化現象(前編)-
(スリランカ観光・情報サイト『Spice Up』上の 吉盛真一郎による執筆記事)
Uploaded on 12th August 2022
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Vol. 4:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年2月26日)】
【楽園のコラム Vol.4】
会計・税務コラム (2022年2月27日)
-つまりは1杯やりに行っただけのこと-
(スリランカ観光・情報サイト『Spice Up』上の 吉盛真一郎による執筆記事)
Uploaded on 10th August 2022
Vol. 3:【スリランカ 会計・税務コラムへのリンク(2022年1月12日)】
【楽園のコラム Vol.3】
会計・税務コラム (2022年1月12日)
-楽園のイカがおいしいのは-
(スリランカ観光・情報サイト『Spice Up』上の吉盛真一郎による執筆記事)
Uploaded on 10th August 2022
Vol. 2:【青年会議所に登壇 (2022年6月8日)】-ヒーロ―になりたかった男とスリランカ起業家 -
【楽園のコラム Vol.2】
岡山 西大寺青年会議所にてオンライン登壇 (2022年6月8日)
–ヒーローになりたかった男とスリランカ起業家-
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 9th August 2022
今回、ある若人より青年会議所での講演のお話をいただいた。
それはN君という、僕が建設会社社員としてインドに赴任していた時代の灼熱の記憶の中にある、若い建築エンジニアであった。新卒で入社して何年も経たないうちに、インドの建設現場へはるばる島流しに遭ってしまったらしかったその当時の彼は、覚悟とハッタリの精神の糸が切れたり繋がったりしていて、人との関係性が危なっかしく、承認欲求が強いのか、それとも他は捨て置いて自分だけに興味があるのか、それが僕にはわからなかった。いや、そもそもこういう人は宇宙人だから、わかろうとしても無駄なのかとも思った。しかし実際は僕が彼と仲が悪かったわけではなかったのもまたおかしなことだった。
私が彼より先にインドを離れて10年経ったが、彼はすでに日本で一級建築士となり、父親の経営する建築設計会社の2代目として岡山県内で活躍し、地元の青年会議所の役員もつとめていた。今回久々に電話をもらった時は、長い空白期間のあとだったから、彼の宇宙人性がどこまで残っているか不安だったが、とりあえず姿形はまだその名残をとどめていた。
何の話かと思えば、歴史のある青年会議所でオンライン講演をしてほしいという。
僕はここ数年あまり更新の無い自分の履歴を強引に引っ張りだして人前で話したり、インタビューを受けたりすることに自身で飽きてしまっていて、そういう依頼をあえて断ったりはしないものの、ワクワクして対応するようなことは、もはやなかった。
しかし、N君の想いは、インド時代の元同僚である私が、南アジアに居残って自分の始めた事業を未だにしぶとく継続していることに、青年会議所の30代男女中心のメンバーも非常に関心を持つはずだから、今年の会議所のスローガン『ヒーローたれ』に絡めてぜひ語ってほしいというものだった。
この時点では、講演自体はまだ提案段階にあり、事前インタビューや打ち合わせをN君と重ねつつ、会議所の理事たちが最終的にその開催を決定するという。この決定がその後なかなか下されなかった。講演者である私が『ヒーロー』をテーマにして視聴者に何を伝えたいのかが、会議所のトップたちにはイマイチわからない、ということらしかった。いやいや、もうそれなら結構です。お願いされてしゃべろうとしているのに、勝手に引かれた予想不合格ラインすれすれに置かれた挙句、逆に私がお願い側にまわってしまうような面倒なことはしたくないから、もうこんなことやめようよ、と僕はN君に提案した。
そうしたら、N君が強めにつぶやき始めたのだ。「今まで例のなかった吉盛さんのような辺境の人の講演を強行することで、オレがお堅い会議所の変革者になりたいんですよ。」。。なるほど、コイツには昔から自分の殻を破りたくてたまらない、という不確かな野心だけはあった。別に僕ごときに『ヒーローとは』の答えを求めていたわけではなくて、いち早く自分がヒーローになりたかったんだな、とそれがわかった瞬間、僕はこの宇宙人と熱情と酒を酌み交わした南インドの夜を思い出し、急に嬉しくなって、それからは会議所の理事たちの喜びそうな話の流れをN君と作り込み、結局講演開催に漕ぎつけたのだった。
講演は、ウェブセミナー形式で、僕が居るインドのチェンナイからのオンライン通信によって行われたが、青年会議所の男女会員約20名は会議室に一堂に会して待機していた。講演者もジャケット着用がルールというので、3日前にあわてて酷暑の街のデパートをさまよって買ってきた。画面越しに、皆マスクをして、若いのにとても神妙そうな表情でノートを開いて座っているのが見える。まさか経営者としてフレームワーク分析がどうのこうの、なんて話を期待されてはいないかと、とても不安になる。
僕は「1000の知識で1しゃべれ」という、建設会社時代の取締役会長が催していた私塾での彼の格言が好きだった。しゃべった内容は1だけでも、その裏には秘されて登場しなかった、あるいはもったいぶられて語られなかった999の逸話があってこそ、その1の言葉が燦然と輝くのだ。そしてその後の質疑応答が、だからいよいよ面白くなったりするのだ、という理論だ。
さて今回、ヒーローの定義とは、「”イチ対不特定大勢”のような構図で捉えられる、カリスマとかリーダーシップなどとはまるで違う、例えば半径5メートル以内のAさんの瞳の中にキラキラ輝く圧倒的存在がそれだ。だからBさんの瞳の中に生きるヒーローと、Aさんの瞳の中に生きるヒーローとは全く違っていていい。それをわかりつつ、今からお隣さんにとっての圧倒的ヒーローを目指せ、ただしそれにをお隣さんが乗ってくれるかどうかは誰にもわからない。」というところに僕のメッセージを落とし込んだ。
これは事前にN君にお願いされた結論でもあり、ぜひN君の野心のシナリオのためにひと肌脱ぎたいと思って話したのだったが、実は僕自身がその時「リーダーの条件」という長らく悩んできた方程式の解を得た気分になっていたのだ。
ちなみに、講演でそのメッセージにたどりつくまでに、武士道の死生観や、沖縄の起業家たちの逸話、ウィル・スミスのスキャンダルなどにもあえて脱線して触れてはみたものの、予想していたように、会議所メンバーたちのノートにメモがとられている感じは終始なかったし、それどころか濃いめの霧の中で皆はぐらかされたような顔をしていた。
もっと僕の物語展開の背景であるインドやスリランカの基礎データの紹介なんかから始めるべきだったかな、でも両国の歴史を興に乗って語ったりしたら、秒単位の最大効率をめざす「今」を生きる若者たちの心にはまったく響かないだろうな、などと振り返ってはみたが、もう出した言葉の料理の皿は片づけられて洗われてしまったし、残ったソースも舐めらはしないのだ。こんなこともあるさ、とひとりごちたその夜の酒は、あまり美味しくはなかった。
一番残念だったのは、あんなに段取りに必死だったN君から、その講演以降ぱったりと連絡がなくなったことだ。あの講演が毒にも薬にもならずに、N君の最大の思惑であった、会議所における変革者としての2階級特進は果たせなかったということか。それならもっと成功者とか有名人にスピーチしてもらえば君の株も上がったのに、僕なんかでごめんな、と正直に思った。
でも、N君よ、おかげで僕は、あの日から「お隣さんの瞳の中に生きるヒーローを目指す自分」になることができて毎日が前より楽しい。図らずも君の持っていきたかった結論に僕自身が刺激されてしまったらしい。いいね、ヒーロー。そう、エラそうに教鞭をとるということは、自分の肝に改めて銘じるということなのだ。N君も変わりたければ、はやく誰かの前で講演するように成ればいい。そこでは自分が必ず一番得をするということに気づくはずだ。(おわり)
Vol.1:【小説】楽園のマグマ(その1) - スリランカODAプロジェクト時代の追憶-
【楽園のコラム Vol.1】
小説 楽園のマグマ(その1)-スリランカODAプロジェクト時代の追憶-
吉盛 真一郎
Managing Director Uploaded on 9th August 2022
大仮説を立てて、おそるおそる実証していく、その場がたまたま熱帯の小さな楽園であっただけのことで、しかも男性が女性にひらめきと着想を得ただけのこと。別に良いことや悪いことをしているつもりはないし、生涯の舞台に仕上げていく覚悟も多分ない。
闇夜の湖畔、夥しい数の野牛が水際で長い角をもたげてうごめき、イノシシやヤマアラシは深い森の中で獲物をもとめて地を這う。熱帯の野鳥コハが鳴き始めて夜明けが近いことが告げられ、やがて夜行性の大型生物たちは、忽然とどこかに消えてしまう。
朝陽に輝く夜露の残りを舐めにリスや猫たちがやってきて、清流の橋のたもとや、水の貯めてある軒先の大甕のそばで、村の女性達は早朝の水浴びを始める。色の濃ゆい緑の中での無邪気な営みがまた今日も始まっていく。
ミセスワールドという、入籍を済ませている女性達の各国代表たちが女王の座を競う世界コンテストがある。その2020年の女王に輝いたのはスリランカ代表だった。人口が60倍も多いお隣の大国インド(ミス・ユニバース上位入賞者を多数輩出)ならいざ知らず、小国スリランカにとっては、既婚未婚は抜きにしても世界大会で、それも優勝ともなれば十分に事件である。国の知名度やその後の発展というのは、こういう意外な功績から始まっていくこともあるだろう。
ところがこの事件はそれだけにとどまらなかった。その翌年の2021年、次期世界コンテストへ出場するミセス・スリランカを決める国内大会のステージ上で、主賓であった現世界女王が、なんと最終決定した優勝者の頭から王冠を取り上げ、準優勝者におもむろにかぶせた後、公然と抱擁をおこなってその「優勝」を讃えたのだ。
一体何の冗談だったかは、会場の客やTV越しの視聴者の中で理解できる者はいなかったが、その次の瞬間、現世界女王は、ステージ上から訴えたのだ。「私は知っているわ。優勝したこの女が、大会規定にある”婚姻状態にある女”ではないということを。そう、夫と離婚しているからこの女に女王を名乗る資格はないの。」
後日、優勝者の濡れ衣は、「離婚ではなく別居状態にある」ことが判明したために晴らされ、再び王冠を取り戻すことになるが、逆にその現世界女王はというと、そのステージ上の強引な「王冠剥奪行為」が、軽微な傷害罪とみなされ警察に逮捕されて、挙句の果てに2020年世界女王のタイトルを保釈後に自主的に返上するという波乱の結末となってしまった。
1990年代末期から2000年代初期に記録した、スリランカの女性の世界一の自殺率は、民族間の対立に起因した襲撃や虐殺の応酬を皮切りに始まった1983から2009年までの内戦中に、島の北東部に出征したままついに還ってこなかった職業軍人たちの妻や恋人たちが、絶望と貧困の淵で死の道を選んでいった結果である、という説がある。
しかしながら、26年間で内戦の犠牲となった兵士の数は総数約5万人程度といわれており、2004年の約3万人が犠牲となったスマトラ沖地震による津波被害後の、二次三次災害としての自殺の増加を考慮しても、果たして世界一の不名誉なタイトルはそう何度も得られるものだろうか。
世界にはもっと悲惨な内戦や貧困、飢餓に悩む国は山ほどあるのに、なにか空恐ろしい闇がこの熱帯の小さな楽園に存在しているのかもしれない、僕は無性にその正体を知りたくなった。そして仮説にすぎなかったが、民族的、慣習的、もっといえば遺伝子的にも鬱屈しているかもしれない部分が、この楽園の女性に多くあるのであれば、その闇の正体を知ることで、今までなかった焚き付け方や磨き方次第でかなり芸術的なマグマのほとばしりを見せてくれるのではないか、そんなことをぼんやりと考えていた。
それを予感させるような闇夜の女性あるいは夜明け前の女性たちに立て続けに出会っていくのは、山奥のダム工事現場で暮らしていたちょうどその頃からだった。(つづく)